予言漫画『私が見た未来 完全版』その数奇な復刻の経緯

1999年、ひとりの漫画家が静かに引退を選んびました。その漫画家とは、平成時代に一世を風靡した奇書『私が見た未来』の作者であるたつき諒さんです。

『私が見た未来』の表紙には「大災害は2011年3月」と書かれていました。なんと出版から12年後、東日本大震災が実際に発生したのです。それによって、一部の読者が予言の的中に気づき、作品は「幻の予言漫画」として注目を浴びることになりました。そして2021年、飛鳥新社から「完全版」として再度出版され、たちまち50万部のベストセラーとなったのです。

奇妙な経緯を辿った、たつき諒の復刻本

ここで奇妙な事件が起きます。発売予定だった「たつき諒の復刻本」が、ニセモノによるなりすまし事件によって延期となったのです。この経緯は、都市伝説やミステリーに特化したYouTubeチャンネル「ナオキマンショー」でも紹介されています。

ナオキマンショーの動画では、「ネットで活動していた方(たつき諒さんの偽者)に、全員、騙されていたんです」と語られています。彼ら自身も、「たつきさん」と名乗る人物からインタビューや対話を積極的に行っており、その顔を知らなかったと述べています。

「たつきさん」という個人アカウントはSNS上で広く一般の人々向けに未来予測を発信しており、多くの注目を集めていました

一方、実際の作者・たつき諒本人は家族から「ニセモノが暗躍している」という情報を聞かされ、この混乱した状況下で復刻本の内容も大幅に見直された「完全版」が出版されることとなったのです。

『私が見た未来 完全版』本人による「新解釈」と「未発表」

「私が見た未来 完全版」は、ニセモノ騒動を経て発売された驚きの一冊でありながら、大きな売上を記録しています。

この本が注目される理由の一つは、著者本人によって出版直前に書き加えられた未発表内容、「2025年7月の大災難」という予言です。また、実際に起こった現象に対する新しい解釈や、「2011年3月」についても詳しく解説されています。

「私が見た未来 完全版」は真実味を帯びる予言漫画として位置付けられます。著者自身が存在したニセモノと差別化するかのように、本書では実際の現象や未発表内容を取り入れ完成させました。

読者からは著者の解釈や未発表内容へどんな反応が示されるか興味津々であり、「2025年7月の大災難」に関する議論も盛り上がっています。本書は衝撃的であり、読者に新しい視点を与えるだけでなく将来備える手段として役立つ可能性もある作品です。

たつき諒さんの夢日記

たつき諒さんのインタビューから抜粋して夢日記の秘密に迫ってみましょう。

以下『たつきさん』のインタビュー。

夢日記から怪談マンガへ

 夢を記録する楽しみから始まった夢日記が、怪談マンガのネタへ進化していきました。

 85年から夢日記をつけるようになったと記憶しています。きっかけは母からもらったまっさらなノートでした。

特に変わった夢を見るわけではなかったです。他の人と同じく個人的な内容が大半で、マンガのネタになると考えていたわけではなかったですね。

夢日記をつけていたのは、深層心理の表れとして夢判断の本と照らしながら分析するのが面白かったからでした。

 また、ごく稀に夢で見た場所や顔と、現実でのデジャヴ経験をしたことがあり、夢に興味が湧いたという面もありました。しかし、夢日記は主に自分が楽しむための私的な記録でしたよ。

 90年代に入り、怪談や恐怖体験の雑誌にネタとして提供するようになりました。それは、私自身にスピリチュアルな能力がなかったからなんです。もし霊能力があると自覚していたら、あまりに現実的な話ばかりで描くことが怖くなってしまったでしょう。そのため、マンガのネタは私自身の経験ではなく、周囲の人たちから聞いた体験談を描くことが多かったです。

 しかし、そうしたネタも徐々に尽きてきました。義姉が看護師だったため、病院で起きた怖い話をよく提供してもらっていたのですが、既に雑誌で発表されたものとダブっているものも多く、描くことができなくなっていました。

津波の夢

苦肉の策として、私は自分の夢日記をめくりデジャヴ体験や不思議な夢をかき集め、2つのマンガを描くことにしました。そしていくつかの夢の最後に、若い頃見た津波の夢が気がかりだったことから取り上げることにしました。

この夢では、「その年」は春でも気温が不安定で小さな地震があちこちで起きていました。

そしてある夏の日、轟音と共に津波が迫ってきて逃げ惑う人々や叫び声があり、私も意識を失って…という夢。

目覚めても映画シーンみたいで忘れられませんでした。下書きは作成していたものの、寒気や吐き気など症状に襲われ発表することを断念していました。

しかし出版社編集者から、「大津波の夢を見たからマンガにしてほしい」という投稿が多数寄せられる中、「私が見た未来」という作品として描けば面白そうだと背中を押されました。それ以降、読者から反響も高く注目される作品となりました。

「大災害」の夢

その後、私はネタ切れに陥り、結局マンガ家を引退することになりました。しかし編集長に意思を伝えると、「最後にうちで発表した作品をまとめて単行本にしよう」と言われ、夢日記を元にしたマンガも収録されることが決まりました。

そして単行本の表紙絵は、締切前日の段階ではほぼ完成していました。女性の周囲に数枚の白い紙が描かれ、そこに自分の夢日記から取ったイラストや文字が入っていました。ただ一つ空白だけ残っており、「何を書くか」悩んでいました。

ある晩、奇妙な夢を見ます。

映画スクリーンみたいな真っ白な場所で「大災害は2011年3月」という文字列が表示されています。

目覚めた時、「これを書き加えよう」と思い立ち空欄部分にその文言をペン入れしました。もしかすると何かあるかもしれない…そんな考えから迷わず書き込んだこの一文は『私が見た未来』の最後の仕上げとして使われ、表紙イラストは完成しました。

編集者は嫌がった

1999年7月、『ノストラダムスの大予言』によって人類滅亡の日が同月中に訪れると話題になりました。しかし、私はそのことを意識していませんでした。

ただ、編集者は不安そうで、「未来予知みたいなことを描く必要があったか」と嫌がりました。「2011年だって10年以上先じゃないですか。それまで覚えてる人もほとんどいないし」と説得しましたが、ウーッと唸られてしまった記憶があります。

引退後はコンピュータグラフィックや医療事務や建築関係の仕事等を1年ごとに転々としてきました。デビュー時からマンガ家を一生続けるつもりではなかったので、「たつき諒」というペンネームから完全に離れ本名で生活することも悪くないだろうと思っています。そして自然消滅的に交友関係も切断されて行きました。

TVで取り上げられ話題に

私は「やりすぎ都市伝説」というテレビ番組が好きで、ある日その番組を観ていたら『私が見た未来』が映し出されました。

表紙の予言が当たったと紹介され、驚愕しました。一部分は隠されていましたが、「これは私のマンガだ」とすぐに気付き、思わぬ出来事に衝撃を受けました。

番組スタッフから連絡を取ろうとしても、連絡先は分からなかったでしょう。本の発行元(朝日ソノラマ)は既に存在しなかったからです。

テレビ放送の影響力は大きく、放送後甥や姪達にスマホ画面を見せられ「こんなに話題沸騰しているよ」と教えてもらいました。彼らの中高生の子供達の学校でも話題に上っているということでした。

私自身普段からネット使用することはありません。パソコン作業時等利用することではあるもののインターネット接続設定さえしておらず最近までスマホも所有しておりませんでした。「情報」の正確性が保証されているわけでもないので、必要があれば図書館で調べるようにしています。

エスカレートするニセモノの発言

しかし、この騒動を機に、たつき諒のニセモノが現れるようになりました。姪から「たつき諒を名乗ってでたらめなことを言っている人がいるよ」と聞かされ、私はネット上で確認すると、自分では言わないような発言が繰り返されていました。そして2021年には写真週刊誌やオカルト情報誌等のメディアでも登場し始めました。

最初は、「何も悪いことを書かれていなければ放置しておくべきか」と考えて静観していましたが、その間にニセモノの発言はエスカレートしてしまったのです。

「阪神・淡路大震災や尾崎豊さんの死亡予知もしていた』といった多数の未来予想的内容が発言されていました。さらに新しい事象として富士山が8月中旬に大噴火するだろうという主張も出され……。

ニセモノがあたかも正真正銘の予言者であるかのよう振舞った結果、私が世間を不安に陥れているという事態が発生しました。ニセモノに直接働きかけてやめるように言うことも考えましたが、私の個人情報が漏洩してしまうかもしれないという恐れから、手を打つことができませんでした。

その頃、私が視聴していた「奇跡体験! アンビリバボー」(フジテレビ系列)という番組で、飛鳥新社から出版されている不思議なマンガの再現ドラマが紹介されました。

同じような分野に理解を持つ出版社があるなら、この会社に連絡してみようかと考えました。ある日、ニセモノの言動が一線を超えたことを感じ、同社に電話しました。すると、編集者の方々も私に連絡したいと思っていたことが判明しました。

ニセモノが存在する以上は自身が本人であることを証明しなければなりませんでした。確定申告書類や生原稿等を提示し、「ペンネーム」と「本名」の記載内容から納得してもらえました。この出会いをきっかけに『私が見た未来』の復刻作業は急ピッチで進められて行く事になります。

「本当の大災難は2025年7月」

2021年7月、『私が見た未来 完全版』の締切り直前に、再び夢を見ました。1999年当時と同じように、映画館のスクリーンのような場所に黒い文字で以下のメッセージが表示されていました。

「真の大災害は2025年7月に発生する」

さらに今回は、海底地震か何かが起きる様子も夢で視えました。この時、「過去に描いた夏の津波という夢」が東日本大震災ではなくこれだったのでは?と思わざるを得ませんでした。その津波は東日本大震災以上かもしれない程巨大だったからです。

目覚めた瞬間、頭に残っていた言葉や情景を急いでメモ帳に書き留めしました。

しかし、自分でも感心してしまうほど他人から見れば不可解な文章の内容しか出てこず、「逃げろー!!」等々単語の羅列みたいな物も混ざっています。

「デュアラー」と記述されてある箇所は都市部と地方部の2拠点で生活する人々を指す言葉でありコロナ禍以降に出てきた言葉かもしれません。

正直なところ、私自身はこの夢が何を意味するのか確信を持っていません。原因追及型の人間である為、あまり納得していない部分もあります。

ただし、過去に東日本大震災等の例が存在する以上、100%起きないと断言する事はできません。

美内すずえ先生との再会

最近、30年ぶりに私がアシスタントをしていた美内すずえ先生と再会しました。書籍を送っていたのですが、既に彼女は書店で目に留め購入されていたそうです。

再会時、「あなたは何か特別な使命や役割を持ってるんじゃない?」と感想を頂きました。美内先生は人智を超える力を持つ方々と交流もあり、そのようなご本も出版されていますが、東日本大震災の発生月日だけは誰からも予知出来ませんでした。それ故、私が書くことに驚かれた様子でした。

美内先生の言葉から考えると、私自身の使命や役割等々次のような事柄かもしれません。

数百年または千年に一度起こる巨大災害では、「自分達が今暮らしている期間には起こらない」という理由で油断する人々が多く存在します。しかし反対に考えれば何百年でも1回だろうと可能性は常に存在する為用心しなければなりません。

東日本大震災も同様です。昔から同じ場所で類似した災害が起こっており、それに対する教訓を記した石碑等も残されていたのに軽視してしまった人々が多く存在しました。その結果、あの震災は忘れ去られる頃合いでやって来てしまったわけです。

しかし、「大災害は2011年3月に発生する」と心得て備えをしていた場合、被害はより少なかった可能性もあります。

残念ながら1999年時点では誰もこの日付を思い出す事無く過ごしており、話題となる事態でもありませんでした。

予知夢をどのように解釈するべきか

しかしながら、現在は状況が違います。私のマンガや言葉に多くの人々が注目してくれているため、警鐘を鳴らすことで今後発生するかもしれない災害に対して被害を最小限に食い止めることが可能だと思うようになりました。

私自身も防災意識が変わりました。自分の住んでいる地域周辺のハザードマップを確認した結果、江戸時代中期の大津波を軽視して想定不足だったことを知ったばかりです。更に調べてみると、その時点で神社など1キロ程度移動した場所もあったそうです。

このような例は日本全国で起き得ます。皆さん方は自分達が住んでいる地域の特徴や以前発生した災害等々情報収集し備えて頂ければ幸甚です。

予測不能な災難事態では家屋さえ壊滅的被害を受ける危険性さえあるからです。また、2021年に起きた伊豆山土砂災害のような人災も考えられます。

とにかく、想定されるあらゆる災害に対して備えておくことが何よりも大切です。いざという時、「やっておいて良かった」と言うことはありますが、「過剰だ」と指摘する方は一人でも存在しませんからね。

参考:文春オンラインの記事から

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